15『ポケットの中のパン』

                           山本忠義

 「ふるさとは遠きにありて想うもの」とある詩人は書いています。小さい頃の私にとって北海道の小樽は、正に人生と共に灰色の街でした。父の放蕩により家族は、明日の米も無いという辛い日々を何日過ごした事か分かりません。その心労の為、母は毎日寝込みがちでした。学校から帰って来ると、いつも薄い布団に横になっている母を見て、心は淋しく、辛く、何も出来ない自分が痛みました。私が出来る事は何一つありません。一生懸命に勉強して、いつかお金を儲けて、母を楽にして上げたいと思うのみでした。
 中学に入り優秀な成績を取り続け、それが唯一の私の心の支えと喜びでした。高校は進学校を目指して、東大に入るのが私の希望でした。東大に入りさえすれば夢が全て叶うと信じて疑いませんでした。家に帰り、母の姿を見ると淋しく、その心境を詩に綴ると、校長の目にとまり、新聞に載りました。中学では学業優秀賞を二度受賞し、自信がつきました。
 ある日、友人が小さな教会へ誘ってくれました。そこではカナダから来た宣教師が、おぼつかない日本語で話をしていました。ある時、ポケットからパンを取出し「人はパンだけで生きるのではなく、神様の言葉によって生きるのです」。その話をよそに、私の目はパンに魅せられていました。パンは再びポケットの中に入ってしまいました。
 何回か通う内に神様の愛が私の冷たい、氷のような心を溶かし始めていたのでした。しかし、私の心の中は東大しかなく、自分の弱点は他人に隠していました。
 その日は夕方から雪が降り始めました。集会の中、「カルバリ山の十字架」の聖歌を歌っていると、心が揺さ振られ、初めてイエス様の愛が、誰にも見せずに隠しておいた私の心の奥底を刺し貫いたのでした。床に頭をつけ、嗚咽に咽びながら許しを請いました。病弱な母に文句を言い、友人達の不幸を喜び、何時も自分を正当化する。愛のかけらも無く、滅びて余りある私。その私の為、イエス様が十字架を通して救って下さった。集会中泣き通しでした。宣教師の先生が私の肩に手を置いて祈っておられるのを感じました。
 それから間もなく、3月に雪がまだ沢山残っている朝、宣教師の先生がお風呂屋さんに頼んで、きれいな水の中で洗礼を施して下さいました。それ以来、人生が劇的に変化していくのが、自分にもよく分かりました。一年後に母と妹二人が救われました。私は「人が全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得になろうか」とのイエス様の言葉により、東大よりも、もっと素晴らしい永遠に続く喜びの人生を得る事が出来ました。それ以来40年間、悔いの無い毎日を送っています。
 「あなたの為にもイエス様は死なれたのです。」(1999/11/28)

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