Q8『嘘(うそ)も方便、ではないのですか』

<質問> 60才、主婦
 嘘が罪であることは知っています。でも、真実を言うことによって相手を傷つけてしまったり、怒らせたり、気まずくさせる事もあると思うんです。「嘘も方便」というように、悪気のない、ささいな嘘であれば、これも「必要悪」として仕方のない事ではないでしょうか。それとも、嘘はどんな嘘であっても罪なのでしょうか。

<回答> 岩井 清牧師
 日本のいなかで伝道していた宣教師の話を聞いたことがあります。彼がその村を一軒一軒訪問して、その晩の集会にさそったところ、「はい。行きます」と答えてくれた人が多かったので、その宣教師は「きょうは大勢お迎えできる」と喜んで準備していたのですが、ふたを開けてみると、ひとりも来なかったそうです。大変なショックを受けたということです。
 日本人である私には、村人たちの気持ちもわかります。宣教師を気まずくさせないで、礼儀正しく応対しようと思い、「行きます」とその場をとりもったのですが、結局は、さらに深く傷つけてしまったのです。
 イエス・キリストが言われたように、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とだけ、答えておくほうが、結局は本当の親切というものではないでしょうか。
 オランダの心ある人たちは、大戦中に、ユダヤ人たちをナチの虐殺から救うために、かくまいましたが、その時は、「ここにユダヤ人はいません」と嘘の報告をしなければなりませんでした。これは、虐殺という大罪から救うため、嘘という小罪を用いたのであって、神もこのことをお赦しくださり、むしろ勇気のあることとして喜んでくださったと思いますが、だからといって、罪が罪でなくなるということではないと思います。
 聖書には「愛をもって真理を語り」なさいと教えられています。
 イエス・キリストはその全生涯にわたって一度も嘘をつきませんでした。次のように記されています。
 「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

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