Q7『どの宗教も、めざす頂上は同じなのでは』

<質問> 59才、主婦
 どの宗教も、みな良い事を言っているし、それぞれ登り口は違っていても、結局めざす頂上は同じなのではないでしょうか。

<回答> 岩井 清牧師
 確かに、「分け登る ふもとの道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」という短歌に歌われているように、どの宗教の修養鍛練も、悟りという同じ目標に到達できるのでないかと、一般には考えられています。
 しかし、イエス・キリストの救いについては、よく知っていただきたいことが二つあります。その一つは、この救いが「登る」ことによってではなく、「下る」ことによって与えられるということです。
 最初の伝道の開口一番イエス・キリストは言われました。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)
 「悔い改める」ということは、実際的には「神さま、わたしはあなたに背いて(そむいて)多くの悪いことを行い、汚い言葉を吐き、汚れた思いのとりこになってまいりました。わたしの前途は天国どころか死であり滅びであり地獄であります。神さま、おゆるしください。わたしはあなたのみもとに帰ります。」と祈ることですから、まさに「登る」のではなく「下って」から、救いに至るのです。
 第二に、わたしたちの目標は、山頂ではなく、さらにさらに高い「神の国」であり、そこに入るのは、修養鍛練によってでなく、この罪深いわたしたちのために、神のみもとから来て、わたしたちの罪の身代わりとして、十字架にかかって、血を流してくださり、三日目に死人の中からよみがえってくださったイエス・キリストを信じる信仰によるのです。これこそ、「福音」であり、良い知らせなのです。
 だからこそ、イエス・キリストはこうも言われたのです。
 「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。」(マタイ18:3)

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