Q6『聖書は「神のことば」だというけれど』

<質問> 74才、男性
 聖書は「神のことば」だというけれど所詮(しょせん=結局)人間が書いたものではないですか。

<回答> 岩井 清牧師
 おっしゃるとおり、確かに聖書は、人間が書いたものであり、人間の著者もその大部分が私たちに知られています。旧約聖書で言えば、モーセ、ダビデ、イザヤなど、新約聖書で言えば、マタイ、ルカ、パウロなどの人々です。
 ただ、聖書は人間のことばであると同時に、神のことばでもあり、神の権威を帯びているのです。ちょうど、イエス・キリストが、まさしく人間でありながら、同時に神ご自身でもあられるのと同様です。
 イエス・キリストを犯罪人として十字架につける指揮を取っていたのは、ローマの百人隊長でした。彼はもちろん最初イエスをただの人間、しかも極悪人と思っていたはずです。しかし、十字架上でのイエスのさまざまのことば、その態度、地震を伴う自然現象の急変などにいたく心を動かされ、感銘を受け、その部下たちとともに、「この方はまことに神の子であった」と告白したのです。(マタイ27:54)
 ちなみに、彼が恐らく、最も感銘を受けたであろう十字架上のイエスのことばが、ルカの福音書に記されています。自分を十字架にはりつけにした人々のために、イエスは「父よ。彼らをお赦(ゆる)しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と言われました。「七たび生まれ変わって、おまえたちを呪ってやる。この恨みを晴らしてやる」というのが、人間のことばであるとするなら、先のイエスのことばは、まさしく人間のことばでありながら、同時に神のことばでもあるのです。たしか、真珠湾攻撃で指揮を取った淵田大佐はこのことばに捕らえられて、クリスチャンになったと聞いています。
 また新渡戸稲造も聖書開巻第一のことば、「元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまへり」という創世記第一章第一節を漢文で読み、この人間のことばであると同時に、神のことばでもある聖句に接して、信仰に導かれたということです。
 単なる人間のことばと思ってでもいいですから、まずとにかくこの聖書に接してみてください。きっとあなたもこれが人間のことばであると同時に神のことばであることが分かってくると思います。

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