19『生ける望み』

                          2003年4月20日
                      平塚福音キリスト教会牧師  岩井 清

 「あの人に会うといやされるような気がする」と言うのと、「あの人に会うといやされる」と言うのとでは、ずいぶん違います。後者は本当にいやされてしまうのですから。
 希望にしても、はかない望みと生ける望みとでは天地の差があります。聖書の中に、次の一節が記されています。
 「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」
 死後について漠然とした望みを持つのではなく、生ける望みをもつように新しく生まれさせてくださったと言うのです。それはイエス・キリストが死者の中からよみがえられたからこそ与えられた望みであると言うのです。
 日本ではクリスマスは知られているし、祝われてもいますが、イースター(復活節)はあまり知られていませんし、これを祝う人も多くありません。でも、キリストがクリスマスに誕生してくださったのは、私たちの罪のために身代わりとして十字架の上で死んでくださるためであり、また、私たちを義とするために、死者の中からよみがえるためだったのです。
 こうして、キリストは私たちを「最後の敵」、「究極の敵」である死とその恐怖から救い出し、私たちに生ける望みを与えてくださったのです。
 癌にかかっても、死を告知されても、平安を与えられて生涯を全うされた同信の兄弟姉妹の姿を私たちはこの目で見てきました。彼らはキリストによってほんとうにいやされていたのです。

 「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(聖書)
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