17『ひとりぼっちの羊』

                           2003年1月26日
                     平塚福音キリスト教会牧師  岩井 清

 なぜ、聖書の中で、人間はよく羊にたとえられるのでしょうか?「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」などと旧約聖書に描写されています。私たちが弱く、まよいやすいからでしょうか。頑健な体を持った人でも、誘惑がくると、コロッと負けてしまう場合も多いのです。狼やライオンばかりでなく、ヴィールスにもガン細胞にも勝てません。
 一度迷うと、もとの囲いに帰れなくなるからでしょうか。犬ならば帰巣本能がすぐれているので、家に帰りつくこともできますが、羊はまようと帰れないのです。いったい、私たちはどこから来たのでしょうか。どこを目ざして人生の旅をたどっているのでしょうか。
 まわりの羊のまねばかりして生きているからでしょうか。「人がどう思うか」。「世間はどうふるまっているか」という基準にふり廻わされて生きてしまうのです。
 この弱く、まよいやすく、まわりのまねをして生きている羊でも、そこに、羊かいがいるならば、それは安全であり、危険から守られ、無事に家に帰りつけるばかりでなく、豊かな食事にありつくことも、すきとおる水を飲むことも、ぐっすり眠ることもできるのです。羊かいのいない迷子のひとりぼっちの羊ですと、いつ食われてしまうか、襲われるか、えさや水にありつくことができるのかと、年中びくびくして生活しなければなりません。羊かいがいるのといないのでは、天地の相違があるのです。
 イエス・キリストは、「わたしは良い牧者です」と言われたばかりでなく、「わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます」とまで言いきって下さいました。また、言われるばかりでなく、その通り実行して下さり、十字架にかかって、私たちの罪やまよいをその身に負って死に、三日目によみがえって下さいました。イエスさまは、私たちの生ける羊かいなのです。人生の牧者なるお方です。
 「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」(新約聖書)
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