16『クリスマスの悲しみ』

                           2002年12月24日
                     平塚福音キリスト教会牧師  岩井 清

 このタイトルは「クリスマスの喜び」の間違いではないかと思った方もいることでしょう。実は、クリスマスは、悲しみを秘めた喜びの日なのです。お誕生パーティーの御招待があった日に、お葬式の通知が来たら、あなたは、どちらに出席しますか。
 「知恵ある者の心は喪中(もちゅう)の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く」
と、伝道者は言っています(聖書)。
 実のところ、クリスマスは、イエス・キリストの死と埋葬を目的とした誕生日なのです。
イエス・キリストは、御自分の誕生の目的について、こう言われました。

 「人の子(イエス・キリスト)が来たのも、仕えられるためでなく、かえって仕えるためであり、また多くの人のための、贖い(あがない)の代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(聖書)

 人類の父祖アダムとエバは、天地の造り主なる神の戒めを破ったため、あろうことか、この世に罪と死(滅び)とを招き入れてしまいました。私たちも、この父祖に似て、怒り、争い、ねたみ、悪意の生活、死の恐怖の奴隷として、生涯つながれている存在を余儀(よぎ)なくされていたのです。
 神は、このように曲がってしまった私たちを愛して下さり、第二のアダム(最後のアダム)とも言われるイエス・キリストをこの世に送って下さいました。それがクリスマスなのです。
 主イエスは三十数年間この地上で力と愛に満ちた高潔な生涯を送ったのち、私たちの罪の身代わりの犠牲(ぎせい)として十字架上に死んで下さいました。そののち三日目に死を滅ぼし、死人の中からよみがえって下さったのです。
 クリスマスは、私たちのために死ぬことを目的として生まれたキリストの誕生日なのです。
 このキリストを、私たちの心の中心にお迎えしましょう。
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