『イースター・メッセージ』
          平塚福音キリスト教会牧師  岩井 清

 
イエス・キリストはご自分を医者にたとえられたことがあります。こう言われました。
 「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5:31)
 ところが、キリストには、ふつうのお医者さんとはずいぶん違っているところがあるのです。どんなに有能な名医でも、最後には「もうこれまでです」とさじを投げるときが、おそかれ早かれやってくるのですが、キリストは、決してさじを投げられないからです。
 死んで4日もたったラザロの墓を訪れ、「もう臭くなっていますから」と止める声に耳を貸すことなく、入口の石を取り除けさせて、「ラザロよ、出て来なさい。」と命じて、彼をよみがえらせなさったのは、その顕著な例であるということができます。(ヨハネ11章)
 そのラザロをひと目見ようと、大勢の人が押しかけてきたので、キリストを憎んでいた人々は、その人気が高まるのをおそれて、ラザロをも殺そうと相談したほどでした。
 キリストは神の子であられます。いや、神ご自身がこの世にきてくださったのだ、と言ってもよいのです。
 やまいと罪と死の恐怖におののいて、出口の見つからない私たち「病人」をあわれんで神がこの世を訪れてくださったのです。そして、私たちの罪ややまいをその身に負って、十字架にかかり、身代わりの犠牲となってくださったのです。
 こういうお方ですから、死んだままで終わるということはありませんでした。イースター(復活節)の朝まだき、主はよみがえって私たちに永遠のいのちを保証してくださったのです。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

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