9 『まことの神に出会って』
                        
                           大野美代子

 私は昭和初期の生まれですから徹底した軍国思想の中に育ち、教育を受けました。
 物心ついた頃から国内は騒然としており、二・二六事件や、思想犯の弾圧、クリスチャンの迫害と、子供心にもただならぬ雰囲気を感じたものです。女学校(旧制女学校)時代は、英語も廃止、修学旅行も廃止、という中で、何の疑問も持たず、ひたすら純粋に必勝祈願の神社参拝に日参し、勤労奉仕と、軍事教練に明け暮れておりました。たまの授業の日はむさぼる様に教科書を読み、東洋史や歴史、漢文などをおもに学びました。
 日中戦争から太平洋戦争に入り、いよいよ戦争が激しくなった頃に、学徒の動員によって海軍に入り、直接お国の為に尽している様な気分でおりました。しかし絶対敗ける筈がないと信じていた戦争が無条件降伏という最悪の状態で終結した時は亜然として暫くは何事も手につきませんでした。何も彼も、私たちは知らされないまま、軍部の言う事を信じ、必死に励んでいたのでした。
 毎日熱心にお参りしていた日本の八百萬(やおよろず)の神々は一体どうしたのでしょう。十八才の命を奪われた友人たち、又深い傷を負いながらも松葉杖で防空壕の病院から退院させられて帰ってきた友人、そんな中で自分が無傷で生きている事が罪悪の様にさえ思われました。
 そんな中を通され、やがて結婚しましたが、毎日体調がすぐれません。お医者さんの診察を受けますと、「あなたの病気は医者ではなおらない。お地蔵さんにでもお参りしなさい。」と言われました。家の近くに有名な大きな地蔵堂があったからでしょうが、私は何かしらお医者さんに馬鹿にされている様な気がして、「お地蔵さんになんか行くものか。」と内心反発していました。今思えば体が病んでいたのではなく心が病んでいたのかも知れません。もう人間が造った神様はたくさん。戦争中のむなしい神社参拝にこりごりしていました。そして迷わずに教会に行きました。
 教会で初めていただいた聖書のみことばは、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のためになだめの供え者としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネ四章十節)
 むずかしい言葉があってわからない所がたくさんありましたが、神様が私を愛して下さっているという事だけはよくわかりました。戦争中のこちらからの一方的な神社参拝に何の反応もなかったのに対して、教会では求めて行く者に対して聖書のみことばというものを下さる、という事を知りました。
 私はこの愛の神にすがってみようと決心しました。今はこの愛の神の故に、健康も与えられ、日々感謝の中に生かされております。(1998/5/24)

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