5 『天のお父さん』

                        森田 紀子

 子どもの頃の私は、両親に厳しく育てられました。そのためか、自分の事は棚に上げて、他人が規則を守っていないとか、ごまかしているとかが気になって仕方がない者でした。そういう気の強い私が教会に行くようになったのは、小学生の時に教会学校のチラシをもらったのがきっかけでした。
 教会で語られる「天国と地獄」の話は大変興味深く、イエス・キリストに信頼する者は天国へ行くことができるのだという事は、幼いながらにも死に対する恐怖心を持っていた者には、すばらしい話でした。その話は大きくなって教会を休みがちになった時でも、いつも心によみがえってきました。
 高校生になった時、私も神様に罪を赦されて、今までの生き方を捨て、新しい生活を歩みたいと願うようになりました。そしてキリストに従う者とさせていただく決心をしました。それからは神様のことを「天のお父さま」と呼ぶことができるようになったのです。
 しかし、人間とは何とおろかで弱いのでしょうか。時間がたつにつれて、神様のことより世の楽しみや仕事を優先するようになりました。自分のことばかり大事にするため、失敗を繰り返しました。でも、気がついてみると不思議なように、「天のお父さま、ごめんなさい。」といつもイエス様のところに帰っていました。
 それから何年かすぎた時、『また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。』という聖書のことばを聞いた時、『愛がなければ』ということばがせまってきました。私は外側だけ神様に従うようなふりをして生きてきましたが、愛がなければ何の値打ちもないと教えられ、自分の中に愛がないことをはっきりと教えられたのです。そして、こんな私に愛を与えてくださる方がおられること、このような私のために十字架で死なれた方がおられることを、改めてはっきりと知りました。何回も聞いてきたことだったのですが、十字架で流された血潮は私の罪のためだったとわかり、心から感激し、涙があふれて喜びでいっぱいになりました。
 それからも、失敗をくり返すことばかりの歩みですが、どんな問題の中にあっても『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』とおっしゃってくださる天のお父さんがおられると思うと、新しい希望が与えられ、生きる力が沸いてくるのです。そして、行ないによるのであれば、絶対に永遠の命などもらえない私でも、イエス・キリストを私の救い主であると信じるだけで、天のみ国へ入れていただけるのだと思うと、感謝でいっぱいです。イエス・キリストがいつも私と共にこの人生を歩いてくださるから安心です。(1998/1/25)

BACK
inserted by FC2 system