3『あらしにもまれた小舟(私)のたどりついた港』

                      
 私が小学校に入学する時、貧しい我が家にはランドセルなど買うお金もなく、父が何処からか貰ってきた古ぼけた、よれよれのランドセルを背負わされ、私はピッカピカのランドセルに混じって学校の門をくぐりました。生活保護を受けていた我が家は、当時有料だった教科書をただで貰い、給食費も免除されていました。何も払えない私を級友はからかい、馬鹿にしました。悔しくて言い返したいのですが、もっと嫌われ孤独になる事を恐れた私は抵抗出来ずにいました。いや、抵抗しない事が私の防衛手段でした。
 それでも家に帰れば、貧しいながらも病弱の父を助け、幼い四人の子どもを暖かい愛情で育ててくれる母がいました。そのおかげで、道にそれる事もなく成長し、良きパートナーにも巡り合い、結婚する事が出来ました。
 しかし、妻、母親、一社会人として、更に人間関係は複雑になって来ます。事あるごとに人の顔色を伺い、まるで偽善者のような自分に耐えられなくなりました。何者にも振り回されない、本当に価値あるもの、信じられる確かなものに出会って自分を変えたいと、以後、様々な道を求めました。
 実践倫理という、自力救済の厳しい修行の会に十年間、ひたすら自己変革を目指しましたが結局変わる事が出来ず、次に求めたものは、統一協会という新興宗教でした。「貴方も変わり、家族も幸福になれますよ。」こんな触れ込みに飛びついた私は、勧められるままに多額の献金、絵画から宝石に至るまで、サラ金をしてまでも注ぎ込んでしまったのです。
 そんな時、私の親しいクリスチャンの友人が、統一協会に夢中になっている私に気付き、そこがどんなに間違っているかを何度も我が家を訪れては、聖書を開きながら必死になって説得してくれたのです。初めのうちは、心を堅く閉ざしていた私も、次第にどちらが正しいのか分からなくなり、真剣に迷い、悩みました。
 結局、私を統一協会から脱会させてくれたものは友人への信頼と、聖書の確かさでした。 『イエス・キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず(聖書)』自分勝手で汚い心の、こんな私の罪の為に身代わりとなって死んで下さったのです。統一協会の教祖とは、全くの違いがあったのです。私はこの方を心から受け入れ、クリスチャンになりました。
 『あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。(聖書)』
 今までの私は人を恐れ、自分を守ろうとする余りに、何ごとも曖昧にし、ずい分と的はずれな人生を歩んできましたが、イエス・キリストという間違いのないお方が日々導いて下さるので、不安のない、自由な毎日が与えられています。(1997/9/28)
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山本 麗子

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