28『神様がくださった平安と将来と希望』

   山口悦子


 私が生まれた時、家の斜め前の教会の牧師夫人に色々助けて頂いたことをきっかけに、母は私と姉を、教会の日曜学校に小さい頃から連れて行くようになりました。
 10歳の時に洗礼を受けましたが、思春期を迎える頃には私は自分のことが大嫌いで、劣等感の塊の様で、皆の前では明るいけど、一人になると、「どうして神様は私をこんな風に造ったんだろう」、「私ほどかわいそうな人はいない」と自己憐憫の思いでいっぱいになり、落ち込むことがありました。私自身、本当は生きたいんだけど、自分に絶望して生きるのがつらく、何の希望も持てず、死ぬ方が楽だと考えることもありました。でもその都度に、聖書の言葉が私を引き止めました。その中でも特に私を励ましてくれたのは、エレミヤ書29章11節のみ言葉でした。

 『主は言われる、私があなたがたに対していだいている計画は私が知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。』

 「この聖書に書かれている天地万物を創造され、私を造られ、愛してくださっている神様が、本当に生きておられるなら、この約束のように私を助けてください。」と泣きながら神様にしがみつくように祈りました。自分でどうすることもできない問題、悩みを通して、神様は私が本当に心から神様を求めるように導かれました。
 26歳の時に、神様を信頼しきっていないという不信仰の罪が、私の心の深い所で根のようにはられていたこと、また自己憐憫が罪であることを示され、悔い改めに導かれ、信仰の土台を築き直す時が与えられました。今振り返れば10歳で洗礼を受けた時に、私の罪を赦すために死んでくださったイエス・キリストが私の心の内に住み、いつも共にいてくださり、私を守り、助け、み言葉を通し励まし、強めてくださっていたのがよくわかります。
 神様は本当に真実な方です。神様は、イエス・キリストを通して私の罪を赦し、永遠の命を与えて下さいました。また、かつては絶望し、生きる希望のなかった私に、聖書の言葉の約束どおり平安、将来、希望を与えて下さいました。
 今、私自身考えてもみなかった多くの祝福に預かっていることは、本当に神様の一方的な恵みのゆえと感謝しています。(2003/2/23)

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