19『神は愛です』

                         木下則子

 私は幼い頃から、どうして人は傷つけあうのだろう? 人はなぜ愛し合えないのだろうということを悲しんでいました。家庭内でも、社会においても、世界の国同士でも、争いの多い世の中に、嫌気がさしていました。
 でも、高校生の時に、私は人を助けることのできる人になりたいと思い、法律を学ぶことにしました。刑事法を学びましたが、人はなぜ犯罪を犯すのかという人間の本質についての疑問が解けないと、その先の刑事政策を考えることができません。私はなおも真理を求めて大学院に進み、研究を続けていました。
 そんな時、クリスチャンの留学生に教会に誘われ、ともに聖書を読むことになりました。聖書を読んだり、賛美歌を歌ったり、祈ってもらったりしているうちに、神様は本当にいるのではないかと思い始めました。そのうちに、聖書の「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」ということばに目がとまりました。
 こんなこと、できるはずがないと思いました。が、その時、『そういえば韓国人は日本人のことを嫌いなはずなのに、あの留学生達は自分の時間やお金などを犠牲にして神様のことを教えてくださっている。これこそ、イエス様が言われたその大きな愛ではないか』と気づきました。神様は愛だけど、私はそうではない。そんな私の汚い心のために、イエス様が十字架にかかってくださったのかと分かりました。
 こうして、私の疑問は解けました。『人はみんな汚い心をもっているから嫌いな人(敵)を愛することができずに、争いになってしまったり、犯罪を犯したりしてしまうのだ。人が愛し合うためには、イエス様の愛が必要なのだ』ということが分かりました。私の求めていた真理は聖書の中にあったのです。
 私は人を助けたいと思っていたけれど、救われなければならなかったのはまず私で、また本当の意味で人を助けるのは、神様の愛なのだと分かり、とてもうれしくなりました。それで、私は今、活水聖書学院で聖書を学ばせていただいています。お読みいただいて、ありがとうございました。(2000/10/22)
                     
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